人工シルクの誕生:天然繊維の時代とシルクの広がり

人工シルクの誕生

天然繊維の時代とシルクの広がり

有機天然繊維

19世紀半ばまで、繊維にはウール(羊毛)、リネン(亜麻)、コットン(綿)、シルク(絹)などの有機天然繊維のみが存在しました。

19世紀半ばから人工繊維を作ることが意識的に推進されるようになっていきます。

人口ブームが布地需要を拡大させ、産業革命による技術進歩が、拡大する織物工場でより多くの布地を生産することを可能にしました。

クリノリンやバッスルのような18世紀・19世紀の女性ファッションは、大量の布を消費するようにデザインされていて、繊維の製造・輸出に大きく依存していたフランス経済やイギリス経済にとってとくに有利なものでした。

ビスコース・レーヨンまたは「人工シルク」は1885年に発明された最初の人工繊維で、すべての植物組織の重要な成分であるセルロースから作られました。

ロバート・フック『顕微鏡図譜』(1664年)

3世紀以上前、イギリスの博物学者ロバート・フック博士は、化学的に製造された繊維の誕生を予期していました。

1664年に出版した著書『顕微鏡図譜』(英題:「Micrographia」)で、彼は「蚕が針金で糸を引き出す排泄物や他のどんな物質よりも、完全ではないにせよ、よく似た、それ以上の人工的な糊状の組成物」を作ることができるはずだと述べています。

シルクの良さと広がり

謙虚な一匹の蚕が、世界でもっとも贅沢な織物、「繊維の女王」の秘密を握っていたのです。布に織られたり編まれたりしてきた天然繊維のうち、シルクのような響きをもつものはありません。

中国とシルク

何世紀もの間、憧れの高級品であったシルクは、紀元前3000年頃に発見されてから5000年ものあいだ、その繊維の産地・紡ぎ方・織り方は中国によって秘密のベールに包まれていました。

  • シルクは天然繊維のなかでもっとも細く強い繊維
  • 蚕の口の下にある2対の絹糸腺(または紡糸口)から分泌されるタンパク質が固まったもの
  • 粘性のある液体は空気に触れると固まる
  • その後、虫は繊維を自分自身に巻きつけ、2・3日後にイモムシは絹に包まれる
  • 1つの繭から2キロメートル以上の絹糸を引き出すことができる

イモムシの唯一の餌は中国原産のシロクワです。

最大の謎は、そもそもどうやって中国の人たちがシルクの可能性を発見したかという点です。

ありえないことですが、よく引用される伝説によると、皇后・史靈が庭で飲んでいたお茶のなかへ偶然に繭が落ちてきて、その熱い液体のなかで繊維がしっとりとほぐれ、繭をカップから出すと繊細な連続した糸になって出てきたそうです。

シルクロードは4000年以上前に確立されました。全長約5,000キロのシルクロードは中国からスタートし、アジアを縦断して地中海にいたり、動物や船舶がシルクをヨーロッパ各地や新大陸へ運びました。

シルクとヨーロッパ

歴史的にヨーロッパでは、シルクは皇帝、王妃、貴族、ローマ法王庁、聖職者の布でした。数ヤードの布地と精巧な刺繍は、壮大な建築物と同じくらいはっきりと権力と地位を表し、庶民が絹を身につけることを禁止する悉皆法が数え切れないほど施行されました。

中国人は何千年もの間、絹織物作りの神秘を大切に守ってきましたが、2000年ほど前、おそらく最初の産業スパイ行為として、ついに養蚕の秘密が中国から盗まれました。

8世紀にはスペイン、12世紀にはイタリア、15世紀にはイギリス、そしてリヨンで絹織物の生産がはじまったフランスへと。イタリアは、16世紀に同じ品質のフランス製素材が生産されるようになるまで、ヨーロッパを代表する高級織物の生産国として君臨していました。

合成繊維開発のめばえ

絹織物の取引がますます活発になるにつれ、合成のもち糸を作るというフック博士の当初のアイデアが再び浮上しました。

化学者たちは光沢のある絹織物を再現しようとしましたが、その価格は一部の人ではなく、多くの人の収入に収まるほど巨大な利益を生みました。

蚕の寿命を観察し、消化プロセスを模倣し、桑の葉のセルロースを模倣しようと努力し、何十人もの科学者が数え切れないほどの年月を費やしたことは想像に難くありません。

消化された有機物を再構成する化学的な秘密は何だったのでしょうか?

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